「がはっ……」

 目が冷めた瞬間、強烈な頭痛と吐き気に襲われた。

 神姫の痛覚は疑似的なものだ。通常ではそんな症状など起こりうるはずもない。

 だが、痛みという疑似信号が身体の破損や故障を知らせるものだと言う部分は人間と変わらない。

 この場合の破損部分は……。

 全身をスキャンチェックする。異物が入り込んだ形跡を発見した。

 それが原因かとさらに精密なチェックをかけようとするが……おかしい。

 違う、この異常は異物などではない。

 むしろ、足りないのだ。

 圧倒的な喪失感と絶対的な虚無感。

 それらが実際の痛みすら伴って胸を締め付ける。

 異常を異常として認識しようとすればするほど、頭痛が増し、この空虚さを受け入れろと、そして失くしたものを再び手に入れろと囁きかける。

「目が覚めましたか?」

 傍らから聞こえる声に、聞き覚えがある。確か、ソムニフェルムと言ったか。

「起きた? 起きた?」

 反対側から上がるきゃんきゃんと甲高い声に、頭の中をかき回されるような痛みが走る。

「セティゲルム、うるさい……」

 その後ろから静かな、というよりむしろ陰気な声が、甲高い声をたしなめる。

「ブラ姉はいつも冷たいなぁ、そんなんじゃ人生損するよ?」

 ブラ姉? 確か、ブラクテアツムと呼ばれていた種型神姫か……。

 ということは、もう一方の甲高い声がセティゲルムとかいうサンタ型神姫。

 それらを確認し、ジークルーネはとりあえず現状を把握しようとする。

 一瞬、自分の居る場所がどこかすら分からなかったが、落ち着いて周りを見回せば、何のことはない。意識を失ったときと変わらない場所、例のドラッグの販売者のPCの中だ。

 つまり、今の自分は実体ではない、データ上の存在だ。

 にもかかわらず頭痛も吐き気も治まる気配はない。

 一体何が原因かと痛む頭を抑えようとして、ふと手が動かないことに気づいた。

 手だけじゃない。全身指一本動かせない。

 データ空間なので視線を動かさずとも、データを読み取ることで周りの状況を把握することはできるが、こちらからのアプローチがまったくできない。

「ふふ、動けないでしょう」

 ソムニフェルムが、唇だけを歪めて笑う。

 どうやら、完全に拘束されてしまっているようだった。

 眼球すら動かすことができないが、気持ちだけでも目の前の神姫を睨みつけてやる。

 それが分かったのかセティゲルムがにやにやと笑いながらジークルーネの顔を覗きこんでくる。

「どう? 悔しい? 不安?」

 楽しそうに聞いてくる声を黙殺し、ジークルーネは打開策を練る。

 どうやらアクセスゲートを開いたままでフリーズさせられているようだ。

 感覚的には敵のPC内に捕らえられているが、実際にはジークルーネの本体はマスターのPCに接続されたクレイドルの上に横たわっているはずだ。

 ジークルーネの人格プログラムを始めとした各種システム……人間でいうところの精神や魂の様ものも、ちゃんとクレイドルの上の本体で作動している。

 接続を強制的に解除してやれば元に戻れるはずだが、それをやると相手に自分の足跡をまるまる残してしまう。優秀なハッカーならそこから相手のアドレスを割り出すことも可能だろう。

 だから、普段なら絶対にしない行動だが、今のようにゲートを開きっぱなしでいるよりはよっぽどマシだ。

 しかし、今のジークルーネは一切の行動を制限されているらしく、自分の方から強制ダウンすることはできない。

 あとは、マスターがジークルーネの状態に気づいて外部から強制ダウンしてくれることを期待するしかない。

 結局、今の自分にできることはないということを再確認するにとどまり、苦々しい思いが胸中に広がる。

 まったくの油断だった。状況やセキュリティから大した相手ではないとタカをくくっていたのだ。

 その一瞬の油断が、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまっている。

 だが、まだ大丈夫だ。

 ゲートを逆探知されればマスターのPCにまではたどり着くだろうが、腐っても政府機関のセキュリティだ。一般人がおいそれと突破できるものではない。

 あとは、マスターが気づいてくれるまで自分が黙秘を続ければいい。

 そう思って、だんまりを決め込むジークルーネの前に、一本の注射器の形をしたプログラムが差し出された。

「これが、欲しいんじゃない?」

「うぁ……」

 ソレを見た途端、頭痛が強くなる。

 それで、ソレの正体を悟る。

「ぐ、ぅ……ボクに、打ったのか?」

 プリンセス・ドラッグ。

 まさか、身を持って体験することになるとは……。

「そうよ。やっぱり、いきなりちょっとたくさん投与しすぎたかしら? 記憶が混乱してるみたいね」

 目の前でゆらゆらと振られる注射器を、自然とジークルーネは意識してしまっていた。

「でも、体は覚えてるみたいね。どう、欲しい?」

「だれ、が……そんなもの……」

 かろうじてかすれた声を出すが、頭痛は酷くなる一方だ。

 同時に、心の奥から耐え難い喪失感が襲ってくる。

 目の前のものが、その心の空白を埋めてくれるのだと語りかけてくる。

「ふふ、大丈夫よ。そんなにもの欲しそうな顔しなくても、あげるわ」

 ソムニフェルムはにっこり微笑むとジークルーネの首筋に注射器を打ち込んだ。

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